海苔の歴史

  海苔の歴史は古い。日本で最初の法律書である大宝律令(701年)には、朝廷への調(税の一種)として29種類の海産物が挙げられており、そこに海苔も含まれていました。海苔は魚や貝に並び、海藻の中では最も高級品の扱いだったようです。710年、平城京が開かれると市が設けられ、そこには海藻類を売る「にぎめだな」(たな=店)が、続く平安京の市にはそれに加えて、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」が設けられました。しかし、海苔が市場で売られていたとはいえ、やはり庶民には高嶺の花で上流階級である貴族のごちそうだったようです。また、987年頃に書かれた「宇津保物語」には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場します。

 鎌倉時代に入ると食文化は大きく変わり、これまでの朝廷の公家や貴族たちが贅を極めた食生活は改められ、質素倹約を旨とした精進料理を完成していきます。日本の伝統食材をふんだんに取り入れた精進料理でも海苔は珍重されます。
 浅草海苔の誕生、海苔巻きの登場、海苔養殖の始まりなど、現在の海苔業界の基盤が築かれたのが江戸時代。 将軍家に新鮮な海苔を献上するため、品川・大森を中心とする東京湾で海苔の養殖が始まり、その後、幕府は献上された海苔を貴重な財源とし、市場で売るようになったそうです。養殖が始まったことにより、これまでより数十倍の海苔が市場に出回り、海苔は江戸の特産品として庶民にも親しまれるようになります。

 江戸時代中期になると、簀で抄く四角い板海苔が登場します。さまざまな具を芯にしてごはんを巻く海苔巻きが庶民の間で大流行し、屋台ずしと呼ばれる店も登場。江戸っ子たちは、現在のファーストフード的感覚で海苔巻きを食べていたようです。
 海苔養殖は江戸時代から始まったものの、海苔の生活史がわからなかったためタネ付け作業はカンや経験だけを頼りに行われていました。そのため生産高は不安定で、長い間海苔は相場商品として「運草」と呼ばれていたのです。

 しかし昭和24年、イギリスのドリュー女史が海苔の糸状体を発見し、それに基づいて、それまで不明だった海苔のライフサイクル(下図参照)が解明され、人工採苗の実用化へとつながりました。人工採苗技術の普及は、それまでの天然採苗の不確実さをなくし、また天然タネ場が近くになかったため、海苔養殖ができなかった地区も産地の仲間入りをしたのです。
 戦後ゼロからスタートした海苔養殖は、さまざまな技術革新のもと年々生産量が増加し、現在では100億枚の安定生産体制をキープしています。


海苔の産地

 「海苔の日」というのがあるのをご存じですか。2月6日が、その日にあたります。
 海からの贈り物である海苔に対する感謝の気持を込めて、全国海苔貝類漁業協同組合連合会(全海苔漁連)が、全国海苔漁民の総意として1966年(昭和41年)「海苔の日」を2月6日と定め、以来毎年記念行事を実施しています。

「海苔の日」の由来
大宝元年(701年)に制定された日本最古の成文法典である「大宝律令」によれば、29種類の海産物が租税としておさめられていました。そのうち8種類が海藻で、海苔がその1つとして表記されています。この事から、海苔は産地諸国の代表的な産物として、大変貴重な食品であったことがうかがえます。

全海苔漁連ではこの史実に基づき、「大宝律令」 が施行された大宝2年1月1日を西暦に換算すると702年2月6日となるため、業界の発展祈願の気持ちを込めて毎年2月6日を「海苔の日」と定め、毎年各種記念行事を行っています。

出典/全国海苔貝類漁業協同組合連合会

歴史について詳しくは、海苔の歴史をごらんください。